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第12回関西突破塾《稲荷編》 感想レポート
2001.8.25 於:伏見稲荷大社 参集殿
9.12 Update!

マルデン製作:伏見稲荷〜東福寺 散策マップ キツネ目組バージョン

 発見 隠し賽銭箱?

 皆さんが写真撮影をされているまに私は狐のお面を買いに出かけましたが(素顔と狐の両方で記念撮影と当てこんだのですが.)、戻ってみると誰も居らず私の思惑は見事に覆され、それこそ狐につままれたような感じでした.
 境内をぐるっと1巡りしましたがマルデン夫妻に出会っただけでした.
(あれも狐の夫婦が化けていたのに違いない)
(寅姐注:あれ?そうでしたか!それは申し訳ありません。結構長い時間「撮影会」やってて、一応「もういらっしゃいませんか〜?」などと声がけして終了したのですが・・・。楽しいアイデアだったのに実現できなくて本当にすみませんでしたm(_ _)m)

 気を取り直して千本鳥居を上っていくと右手のほうに新池が見えたのでほとりの方にぐるっと回りこんでみました.
 すると、池のあちらこちらで丸いものが プカリ プカリ と浮かんでいるじゃあーりませんか.なーんだ定番の亀と鯉の池かと思ったとたん甲羅がやたらのっぺりしているのに気付きました。すべて六角形の模様が無いのです。それになにやら鼻も尖っています.
 この時私はピーンときて、すぐに参道を下り始めました。
  ふふふふふ 見つけたぞ
 これから確認するものが私の予想道理なら間違いなく
  ”学ちゃんはやっている”。
 最悪を基本として生きている”学ちゃん”が別の賽銭箱を持っていないわけが無い。
 などと思いつつ下りきったところの池(学ちゃん賽銭箱の横)に到着し丸いものを探しました.
 ぐふふふふ この池ではすべて六角形の模様入りだ。上の池だけがすっぽんの池なのだ。上の池こそ本当の学ちゃん賽銭箱だったのだ. と確信して三条の天狗へ向かう私でした.

 スタッフの皆様ご苦労様でした. 多謝   より目@一橋文哉 
数日前から必読図書の『突破者』を再読し、京都市内へ車で入って、京阪電車で稲荷駅へ。開演の2時ぎりぎりに会場に到着すると、すでに大勢の人が緊張感のある空気の中、演壇に向かって座っておられました。寅姐さんの司会のもとに宮崎さんの話が進んでいきます。受付でいただいた寺村邸跡等、宮崎さんのかつての生活の場所が図示してある地図を見ながら、宮崎さんが子供の頃に賽銭泥棒をして駄菓子を買に行った話や通っていた小学校で女の子をいじめた生徒を半殺しの目にあわせたという話等々時間を忘れて聞き入ってしまいました。話をしながら、宮崎さんが時おり見せられる笑顔が『突破者』のイメージからは想像のできない、何ともいえず優しいいい笑顔でした。
後で境内で宮崎さんと一緒に写真を撮っていただきましたが、バックには伏見稲荷大社の建物が入るように一人一人俯瞰で撮影していただきました。最初にいただいた地図のわかりやすさやデザインのすばらしさと共に、乙女組の方々の突破塾に対する真摯でさわやかな気持ちを感じました。

宮崎さんがお兄さんと寺村組の仕事をされていたのとほぼ同時期に私も京都に住んでいたのですが、伏見稲荷には行ったことがありませんでした。
私の住んでいた、どこかよそよそしい感じのする北区とは違った下町の雰囲気のある稲荷の町は『突破者』の生まれ育った場所の匂いがしました。

二次会でも3人の方と知り合い、楽しく話ができました。
バーチャルな世界から現実空間へ浮上することを実感した一日でした。

乙女組の皆様、宮崎さん。このような機会をつくっていただき、ありがとうございました。    
                                    迷人
忘れられない わらびもち の あじ・・
私の中で半ば、伝説と化してしまった「道八」のわらびもち。
むちゃく〜ちゃおいしかったですっ♪
突破塾が終わって、かなり日も経つのに、毎日思い出して、牛のように反芻しているわたくしであります。
しかし、もう、二度と食べられないのかと思うと悲しくなります。
いくら学校が近くたって、京阪の駅から近くたって、(私が使ってる地下鉄「くいな橋」とは逆方向なので)そんなにおいしいと思っていなかったから、寅姐さんに連れて行ってもらうだけ連れて行ってもらって、油断して道を覚えてませんでした。でも、それが、すごくおいしかったっ。くぅ〜。
地図は地図とて、オオ森モリヒコの手にかかれば、あっという間に、あの踏み切りは霧のかなた〜♪ふふん〜♪
というわけで、わたびもちが切実に恋しい今日の秋空。

突破塾当日は、旧寺村邸と小学校に行きました。
旧寺村邸は、へ?というくらい広かったです。
親分の話を聞いている時にも思いましたが、改めて、ぼんぼんやんかっと思いました。^^;
それでいて、やんちゃ過ぎなところがなんともまた。。うふ。
敷地内の端っこに交番があったのが悲しいような、、
でもそのこじんまりさがちょっと可笑しかったです。

親分の話を聞いていて、思ったのは、子どもの頃のことをよく覚えていらっしゃるということ。
しかも、その記憶がまたすごく鮮やかなのが羨ましいです。
線路に通した荒縄を鴨川に垂らして、さらにその先に自分をくくりつけて、、
電車がきたら縄が切れて、ドボンっと落ちる、という遊びを教えていただきましたが、
その、縄が切れる瞬間の感触を「思い出して」みたりして。勝手に。
経験なんてあるはずないのに、伝わってくる感触がなんか、気持ちいい。
自分の小さい頃の記憶というのは、あまりないので、追体験みたいでワクワクしました。
実際に川の様子を見てこられた人に聞くと、3mくらいの高さがあるということでした。
こんな実際の様子まで聞いてしまうと、行きたくなります。(迷わないといいけど。)
ちなみに、龍谷大学を、久しぶりに良い大学だと思いました。
(選挙中にテストするなんて、なんて大学だっ、と思っていたけれど、若かりし親分の(あ、今もお若いですけど)、活動場所付近ということなので♪)

それでは、親分とみなさま、第二クールもよろしくお願い致します。

オオ森守彦
 エピタフです。前回の突破塾では翌日の京都出陣に参加する予定だったのですが、皆と朝4時まで飲んでて起きたのが昼で\(@o@;)/
とうとう参加できませんでした。どうもすいませんm(_ _;)m。

 今回の突破塾は、自分ではこれまでで一番リラックスして聞けました。親分の話は一言で言えば、もうムチャクチャ(^_^;)なのですが、「生きている人間の本音の言葉」という共感を覚えました。最近の日本人は表面上のきれい事や絵空事しか語らなくなってしまった中で、動物的な本音で語り合う人間関係はとても大切だと思います。

 2次会には論壇の政田さん達も参加されて非常に有意義な話で盛り上がりました。この突破塾に参加して色んな人に知り合えて、目からうろこが落ちるような話が聞けて本当に良かったと思ってます。
宮崎親分、スタッフの方々ありがとうございました。しばしの別れ・・・と思ってたら、もう既に次のイベントの予定が!\(^o^)/楽しみにしております。
一度 ヤンさんの鶴橋の突破塾に参加させていただいて以来、経済的事情などでもっぱらネットでのみ拝見していた突破塾でしたが、ラストであることと、また宮崎さんの覚悟の声明をホームページで読みこれは行くべきだと思いきって応募しました。

こうした若干不純な動機に対し、満足がえられたかどうかといえば、突破塾についてはまた一新して続行されることが発表され、また宮崎さんの今後は「文豪」への道をきわめるを直接聞いた、という結果。つまりわたしの不純で単純な課題などとるに足らないことだったのです。
実際は、宮崎さんの、大海の深み、未踏峰の高みに挑もうとする制御した気迫を感じたこと。強烈な印象でした。
張り詰めた空気のようなものを感じました。
日本全体を包み込む緊張が宮崎さんを通して伝わってくるのです。

一方では、二次会もそろそろお開きというころ、ひと足さきに会場を去る宮崎さんを目で追っていたときのこと。
関西の突破塾のスタッフのひとりであるまだ学生の女の子に、細い目を絹糸くらいになるまで細め、自分の愛娘にむけるかのような満面に笑みをうかべながら、耳のあたりで両手を振りバイバイと言う・・
血で血を洗う世界のすべてを見てきた人間ができる表情とできない表情があるはず。それができる宮崎さんの、言葉にしないで言いたいこと、残したいことを想像力を総動員して、しっかり掴んでいきたいと思いました。

けいしょう
皆様お疲れ様でした&ありがとうございました。
第2クール楽しみです。

日記の転用という安易な感想文ですが…。

10:14の新幹線のつもりが10:38。でも間に合った。
新幹線内で「関西突破塾はO君と一緒に来たなあ」と思い出して一瞬涙。

家を出るときは雨が降りそうだったが、京都は快晴、暑い。
帽子も日焼止めけも持たずに来た。失敗。

関西突破塾は最終回ということで「宮崎学を育んだ街、伏見稲荷を歩く」。
宮崎さん所縁のポイントの解説があって、質疑応答があって、最終回総括。
伏見稲荷の狐とキツネ目の男と一緒の撮影会の後、散策タイム。

しかし賽銭泥棒をした「学ちゃん賽銭箱」とか「坂口安吾下宿跡」とか
「家庭教師邸」とか「最大の覚醒剤密造所跡」とかは看板があるわけでもなく
「この辺かなあ」とブラブラ。初めは10人ぐらいで歩いていたがそのうち3人になってしまう。

宮崎さんの両親と、既にご本人のお墓もあるというお寺にお参りに行く。
門は閉まっていたが叩くと、女性が出てきて「よく来てくれました、偉いですね」。
どうやらお墓参り組は私たちだけのよう。
「建立」を「けんりつって書いてあるよ」と言って赤恥。

三条の天狗で2次会。宮崎さんと同じテーブル。O君の話。みんな呆れる。
「そいつはヘタレやな」
「私だったらぶん殴るわ」
「自分、まだ未練があるんとちゃうか」などなど。
未練は皆無じゃないけど、それは寂しさ。
ヘタレ男が大好きだった事実を乗り越えて、女を磨くぞ。
本の企画やら今後の話。「面白そう」と言ってもらったので頑張ろうっと。

宮崎さんに「地下げや稼業はもうやらないんですか?」と聞く。
「やってないねえ」とのこと。
これから来年末まで13冊ほど執筆予定が詰まっているらしい。
相談を受けたたがたさんの東京進出計画を話すが、宣伝話になってしまう。
「そんなにうまいのか。その店行って桜井の名前出せばいいのか?」と宮崎さん。

9人ほどで「Bar游」。シャトー・ピション・ラランド'88他。美味しい!
この素晴らしいワインを頂きながら、創価学会について語り合う。

もう東京には帰れない時間。M・G夫妻とN君と4人で高瀬川沿いの京都料理「志満」。
はも、このわたなど、美味しい。
Gさんの「一億動かす」女子行員バブル物語を聞く。

M・G夫妻にくっついて、メトロという本当に地下鉄駅直結のナイトクラブ。
本日のDJはなんとスカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)の川上君。
川上君とは大学時代の仲良し。いつも一緒に遊んでいた。こんなところで再会とは
びっくり。

旧交を温める。O君と知り合ったのは川上君のおかげ。近況を告げると驚いていた。
「ええー!まじでえ?!ベストカップルって感じだったのになあ!」
「不倫の代償は大きいよ」
「そうかあ、はははは」
DJ中は大人だけど、口を開くと変わらぬバカ笑い。
キリン「氷結果汁」のCMソング「めくれたオレンジ」大ヒットで絶好調の様子。
また会おうね!

レゲエミュージシャン「ナーキ」のライブもあって、なんだか懐かしい。
ナーキは三木道山とかあれやこれやのレゲエの人たちより、うまいしかっこいいと思う。

M・G夫妻は帰る。その後もしばらく踊っていて疲れたので店を出る。
N君と「どうしようか」と言いながら彷徨い、鴨川の河原。
しばらく話していたけど眠い、寒い、トイレ行きたい。

トイレを探していると「まんが広場」発見。
オープニングキャンペーンで1時間190円。N君は喫煙者なのでバラバラに過ごす。
5時半、出る。新幹線ホームでキツネ目組の人たちに会う。私だけ禁煙車。

濃すぎる京都旅行であった。疲れたけど面白かった!


桜井真理
関西突破塾の最終回に参加して、この約1年間を振り返ると、本当に楽しかったです。
関西で当企画があったことに非常に感謝しております。

第1回目に不安交じりで参加してみて、期待以上の内容に惹かれて以来、時間の許す限りは極力参加してきました。
「喜怒哀楽」の感情と「生きる」という行為の関わり合い、という人間の根本的で、失ってはいけないことを各回を通じて感じたように思います。

又、この塾でいろんな方と出会えた事も大きな収穫です。

毎回ご多忙の中でもわざわざ関西に起こしいただいた宮崎親分、そしてこのすばらしい企画を立案され、継続されてきたSTAFFの方々に改めて敬意を称します。
本当に有難うございました。皆さんの情熱がここまでのものにしたと思います。
そして今後も初心を忘れずに第2クールに突入されます事を僭越ながら祈念申し上げます。

あまがさきわたる

広い会場が満員!
あの〜、野次馬もどきの やよい です〜。
稲荷に早く着いてしまったので、仕方なく境内を歩いているうちに千本鳥居に入り込み、信者の親切なおじさんと一緒に「お山めぐり」をしてしまって、ちょっと遅刻してしまいました。ご免なさい。
「わあ、遅れるう」と思って帰り道を急いだので、膝ガクガク状態での受講でした(日頃の運動不足のせいで、月曜日まで筋肉痛)。
この間ようやく入手した「グレートマザー」はちゃんと予習しました。でも、「突破者」は買ってから5年近く経つのに、未だに14ページから先に進んでいません。これって、自分では制御し得ない抵抗感、とかいうもののせいらしいです。(最近、アスペルガー症候群とかいうものを知ったのですけれど、なんとなく、自分はこれにあてはまるような気がしています。)他の著書は何冊か読んだのですけれど。
興味をもつと、とっても興味をもってしまうので(やっぱり、アスペルガーかしら〜)、「一体、宮崎学さんってなにものなんだろう???」と実物のお話を伺いに行ったのですが。・・・結局、謎は深まるばかり。突破塾に参加する機会がまたあれば、もう少し深く考察してみたいと思います。
夜は町内会があったので、二次会は欠席でした。京都は、10数年ぶりです。今回は、お山めぐりしかできませんでしたが、そのうち、稲荷の町を散策してみたいと思います。
突破塾、リニューアルで継続、どうもおめでとうございます。あわせて、係りの皆様、本当にどうもご苦労様です。また、お邪魔するかと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

追伸
けっこう前に書かれた内容みたいですけど、こんなページ見つけました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~bonobo/thema67.htm
業績不振の公営ギャンブルこそ、真っ先に民間委託、つまり、賭博のプロに任せるのが最良の景気対策とか。確かにお金離れの良い人たちにお金を集めれば、すぐに、昼の繁華街も夜の繁華街もにぎわって、高級車もバンバン売れて、景気が良くなるかも〜。

やよい

親分におヒゲが!焼けて引き締まったお顔によくお似合い♪
京都は遠いけど突破塾に一度は行って見たいと思っていたので申し込みました。
しかし当日起きたら予約していた飛行機の離陸時間に・・・
なんとか途中からですが参加させてもらいました。
宮崎さん会場の皆さん遅れて申し訳ありません。

会場では丁度とら姐さんの司会で参加者から質問を募っていました。
とら姐さんは初めて拝見しましたが・・
写真も良いけれど実際はそれ以上で華やかで優しい美しい方です。
突破塾に何度も来る男性の中にはとら姐さんが目当ての人もいるのではと思ってしまいました。
 (寅姐注:いや、それはないかと・・・汗出ますわ(@_@;;;)
すいません話しを戻します
私は質問がまとまらず他の方のを聞くだけでしたが

・命がけの子供時代の遊び
・宮崎さんの交渉の秘密?
・将来京都に戻る可能性について
在日の方の
・宮崎さんの人間形成に在日の方がどうゆう影響を与えたのですか
という質問に対して当時のエピソードを交えての回答に自分には身近な人が本当に困っているときに助けられるかまた助けてくれる人がいるか等色々考えさせられました
・宮崎さんの借金の本当の金額
・初恋について
・家庭教師のエピソード
・正月の青空駐車場

等など楽しいお話聞かせていただきました。

外にでる前に選挙用に撮影した写真を一枚購入しました。

撮影タイムで宮崎さん、とら姐さんにも一緒に写ってもらいました
有難うございます。記念になりました。
その後は散策MAPを手がかりに歩きました。
坂口安吾下宿跡は一戸建の住宅
家庭教師邸跡は集合住宅に変わっていました。
兵庫の方と一緒に駄菓子屋通りを歩き道八で宇治氷を食べました
美味かったです。

京都は修学旅行以来です。
道幅が狭く冬に除雪できないなと思いました。

二次会では沖縄から飛行機で来てる人、広島から7時間自走して来ている人がいると知り、感心しました。
そして全12回皆勤しているのは組員でも党員でもない方というところ妙に突破塾らしさを感じました。

兵庫の方がペンを探して貸してくれたおかげで宮崎さんにサインしてもらうことができました。
宿探しまで付合っていただき兵庫の方には本当にお世話になりました有難うございます。

そこで知り合った横浜、京都の方々と兵庫の方と4人で次の店へ私だけ名刺もってなくてちょっとはずかしかったです。
またどこでお会いしたいですね。

次の日は昨日まわれなかったところを見ていくつもりでした。
鴨川を渡って「ゼロ番地」付近を堤防沿いに歩き下に降りて全面コンクリートで固めてある東高瀬川沿いに近くの高校の部活の声を聞きながら「在日エリア」方面に向かうと”十条ランプ工事”の案内がずいぶん大きな工事が進行中の様でした。

「お父様行き付の銭湯」も道路工事のためか跡形も無くて工事事務所と資材置場なっていました。

琵琶湖疎水(びわこそすい)を渡って「イカサマ花札」の場所へ、ここも比較的新しい住宅ばかりでした。昔の話が聞けないか近くの家で試しに聞いみました。
はじめのお宅では詳しくわからない様でした。
そうしていると二軒隣のおじいさんが顔を出してこちらの様子をみているので声をかけて聞いてみると「昔のことならそこの○○さんに聞いてみるといいよ」と丁寧に教えてくれました。

さっそく、そのお宅にダメもとで聞いてみました
京都出身の作家宮崎学さんのゆかりの場所を訪ねていますと言って聞いてみました
イカサマ花札についてはやはり知らないようでしたが稲荷大社前の「寺村さん」はご存知のようした
そして関係はわからないけれどこの近くに宮崎姓のお墓もありますよと、またその寺村さんはパールハイツという所に今も住んでいるから詳しいことはそこで尋ねると聞けるかもしれないとわざわざ一生懸命思い出して教えてくれました。

再び疎水を渡って「旧寺村邸(2歳迄)跡」へ

移動の途中に参院戦の残骸を発見
「小泉総裁来る!!」の立て看板が電柱に結んだままになっているのを記念撮影
旧邸のそれらしい場所にはクリーニング店と喫茶店の一緒になった建物がありました。

「抗争パチンコ屋」は4階建のビルでした

昨日と同じ「道八」で休憩して宇治金時を食べました。

近くなので伏見稲荷大社見物へ
ここでせっかくだから奥まで観ようと思ったのが飛行機に遅れた原因でした
しかし貴重なお話しを神職の方に直接聞くことができたので良かったです

すでに誰か紹介しているかもしれませんが意外だったのは明治時代まで鳥居は6本しかなかったそうです
昔は奈良の大神神社と同じで稲荷山全部が禁足地で修行の地でもあり今のように自由に鳥居を立てたり茶屋を設けたりできなかったそうです

お稲荷さんというとキツネの神様と思いこんでましたがお話しでは使いめとしてキツネを使うと言う伝承があると言うことで神様がキツネというわけではありませんとのことです。
明治前は所有地が40万坪が当時の国に取り上げられて二万坪になってしまったとも(数字まちがっているかもしれません)

稲荷大社のお山に行くことを考えている方に特別のおすすめポイントを二つ紹介します

1.稲荷大社中一番涼やかな場所「御膳谷参拝所」(山頂よりも格段に空気がいいです)

2.眺めの利く場所No1「荒神峯」〜「御幸奉拝所」にある場所です。
(注)柵が無いので崖に近づかないようにして眺めてください。
この場所は色々お話しを伺った神職の方に帰り際に紹介されました
稲荷大社のチラシの案内図にも載っていないようです。
北海道から来たと言ったためか非常に親切にしていただきました。

下り途中の茶屋で深草稲荷の郷土史を購入しお茶を戴きながらお店の女性と雑談しました。
昔はみんな夜にお参り(お山めぐり)したという話しです。
熱心な信者は昼は仕事して夜にお参りに来ていたそうです
寝ないで次の日も働いていたとか新幹線ができてから昼間お参りする人が増えたとか一番込むのは正月で次は「初午」だそうです
(2月の最初の午の日)昔は平日でも氏子が皆集まったけど最近は休みの日にずらして行うようになってきたとのことです。

3時間以上稲荷山で過ごしていた様です。

再びMAPを見ながら移動再開
「学ちゃん賽銭箱」それらしい賽銭箱を撮影

「寺村邸跡」跡形無し住宅多いです

以前に教えてもらったパールハイツを発見したけど表札見つけられず「若衆行き付の病院」へ
散策MAPのマーキングの建物を撮影、大きな病院ですがそこだけ他よりも古い建物でした宮崎さんのいた当時のものかは判別できませんでした。

一応MAPを一通りまわれたのですが突破塾で言われていた「正月の青空駐車場」跡地が頭に浮かんだので観に行きました。
当時の空き地の位置はよくわかりませんでした。

色々周りすぎてまたも飛行機に乗り遅れ結局空港傍で1泊して翌日朝一で戻ることになりました。チョット歩き疲れました。

名無し@帯広

「選挙ポスターボツ写真」を販売。やっぱり親分この頃と比べるとやせましたね〜。
 関西突破塾、とても楽しかったです。ただ、スタッフとして働く筈が、全くの役立 たずで終わってしまったのが悔いです。寅姐はじめ、関西総本部の皆様、役立たず で、ごめんなさい。

 さて、京都に向かう道から嬉しいことが。名古屋のサケ姐から電話で伏見散策のお誘い。残念ながら遅くに出てしまった私はプレ・町歩きには参加できなかったけど、 お誘いに感激しつつ京都駅着。
久々の京都駅にも奈良線ののんびりした雰囲気にも懐 かしさがこみ上げる。
宮崎親分の話をこの時聞いていたら涙ウルウルだったかもしれません。

 稲荷駅を降りると、すぐそこは伏見稲荷の参道。参集殿は思ったより大きな建物で 「こんなビル今まで全然目に入ってなかったワ」と自分の目のアホさ加減を確認。
既 に寅姐はじめ関西のスタッフの方々が来られていて恐縮でした。
 スタッフの仕事開始から驚きの連続。
まずは写真。マルデンさんが取られた選挙運動のスナップ。カバンにしまうのが大変なくらいの量にはびっくりしました。1000枚くらいはありましたか。しかも全て京都大阪など関西のみ。撮りどころが沢山あ ったのですね。私も親分のいいショットを一枚購入させていただきました。寅姐にお金入れ用の紙箱作りを習ったのも嬉しい記憶。
 驚きはそれだけではなかった。マルデンさん写真に加えて親分のポスター用の写真まで。さすがプロが撮られたもの。これまた一枚購入。
 バタバタしているうちに、親分の話す時間がやってきた。寅姐の立て板に水の司会で始まる突破塾最終回。親分の話を伏見で聞くなんて嬉しいなー、と思いつつ聞く。
いろんな話が出て非常に感激でした。質問も鋭いのが沢山。初恋について(レモンのような思い出が余りない、っていいかも)、近所の奥さんの間男(不倫)について、京大生家庭教師のその後(不審な無線機があったこととか本に書いてない話が面白かった)、賽銭ドロ、伏見での宮崎親分不人気?度、選挙での思わぬところからの一票(何と八丈島で一票入っていたって!!)、在日の人々との付き合いは差別を意識したものではなく共同体の一員だ、といった硬い話まで、本当によかった。
それにしても質問を的確に纏めてマイクで周知する寅姐さんにも感嘆。

 最後はお片づけ。関西キツネ目組の方々の手際良さに「すごい。東海突破塾やる時 にこれを見習わなければ」と思う。荷物を近くのコンビニから発送。私は飴をもらって舐めてただけ^^;)
 名古屋本部のサケ姐さんと今池さんと合流して伏見を散策。
伏見稲荷横の池前の店でひやしあめを飲む。生姜が効いてて美味!
ちょこっと稲荷さんに行ってから、親分宅や家庭教師宅跡近辺をそぞろ歩きつつ、ゼロ番地方面を目指す。しかし…。
親分父上行きつけの銭湯も、何もかもあの辺り一帯は道路拡幅工事の犠牲になっちゃってました。ほの暗い伏見周辺の雰囲気も妙な明るさにかき消されてしまうのかと、強い危惧の念を抱きました。
親分が遊んだであろう鴨川の河原に降りたとき、面白い犬の散歩に出会う。川の中に棒を投げ、それを犬がジャバジャバ飛び跳ねながら取りに行く、という珍光景。見とれているうちに、あっという間に二次会の時間が迫っていました。慌てて京阪鳥羽街道駅から三条を目指す。

 鴨川の等間隔カップルを見つつ二次会会場へ。あまりに広い会場と人数に驚く。
飲み放題に甘え大分飲んだ。二次会ではサケ姐、今池さんを交えつつ、乙女組の方々や突破塾初参加の方と親しく話させていただき、とっても楽しかったです。
ほたるさんからは絵はがきをもらい、オオ森さんも見ていないビデオを借りたり、と図々しいことをしでかしてしまいました。そして、憧れの寅姐ともお話できたし、もう最高でした〜!
その後同じテーブルにいた名古屋組と初参加の方とお茶をして楽しく京都を後にしました。ところで22時過ぎに起こった地震で京阪も新幹線もストップしたそうですが、大丈夫でしたか?

 ところで、また関西突破塾が形態を改めて再開するとのこと。9月のには参加できなくてムッチャ残念ですが、また是非参加したく思っています。スタッフの方々、よろしくお願いします。

浦島太郎

宮崎親分、スタッフの皆様、
伏見稲荷での関西突破塾最終回お疲れ様でした。

わたくし、今回が最終回にして初めての参加ということでワクワク、ドキドキしながら参加いたしました。
今まで外からそっと眺めていただけだったのですが参院選伏見での街宣活動のとき、「えいっ!」と一歩踏み出してみた記念すべき最初の地にまた訪れることが出来て、あれから過したほぼ2ヶ月の出会いや経験を振り返り何ともいえない不思議な気持ちになりました。

散策では、雲行きが少し怪しかった為にあまり遠出をしませんでしたが稲荷小学校→寺村邸跡とその周辺→親分が冷やしあめが美味しいとおっしゃっていた駄菓子屋さんの前の池で亀さんと鴨さんと見て→学ちゃん賽銭箱確認に行きました。
賽銭箱近くのおいなりさんのそばに猫さんを発見。
動きがまったりとしており、何となくネコ目というよりはキツネ目!?の猫さんでした。
寺村邸跡は境内町というだけあって、伏見稲荷大社のすぐ横というかほとんど中というところで、今では立派なお家が沢山立ち並ぶこの辺一体が寺村邸だったのだなと思うと「すっ、すごいなあ。」と感心し、おいなりさんにこんなに側で見守られて育てば、キツネ目にもなるもんだ!?と思ったりもしました。

宮崎親分が大切に思ってらっしゃる故郷を歩いてみて、「故郷」というものについても考えたりしました。
親分の著書や突破塾でのお話から感じられる、伏見稲荷という地に対する愛着というのでしょうか、そういうような思いを抱く自分の原点であると言えるような地がはたして自分にあるのかどうか。
新興住宅地のマンションが立ち並ぶ新しい街で育ったわたしには自分の育った街に対して「故郷」という思いはないのですね。
旅行などから帰ってきて「ほっ。」とするということはりますがそれは住み慣れた、便利なという意味での「ほっ。」だと思います。
わたしが育った街をまだ離れていないからそういう思いがないのかもしれないですし、別になくてもよいのかもしれませんが、ちょっと寂しいような気もします。

それから、最後に「道八」のいなりうどんとわらびもちもとっても美味しかったです。
少し甘めのおだしが私好みでグーでした。

こんな感想文で良いのかどうか分かりませんが、
「楽しむことが出来ました、どうもありがとう。」の気持ちを込めて。

あっこ

稲荷の話をされる中、ときおり「あいつ聞いてないやろな」と周りを気にしたりして(笑)
僭越ながら、いや勝手ながら思っていたことですが、宮崎学さんの存在および思考法が、「+1かける+1イコール1」ではなく、「-1かける-1イコール1(つまりは逆の逆をいく?!)」だということを再認識した、最終回の突破塾でありました。

当日は、とてつもなく多面体・多色的存在である宮崎さんの「赤」色的な一面を築くきっかけともなった、かの「家庭教師」について質問させていただきました。が、昨年夏に他界されたとの事。若かりし頃、でかいアンテナを立てて、いったいどこに、どんな内容のモールス信号を送っておられたのか? といっても、そういった極秘事項は墓場まできちんともって行っておられるでしょう。それはともかくとして、一度、どのような方なのか、直接お話を伺いたい人物でありました。

伏見稲荷の境内で行われたトークの後、ブラッと散策に回ったなかでも印象的だった場所は、やはり宮崎家の菩提寺でした。門はすでに閉まっていましたが、こちらのインターホンに応じてお寺の女性が入れて下さった境内は、想像よりもかなりこじんまりしたものでした。本堂の右手にある小さな階段を上がった左手の奥の方に、五重塔、ご両親のお墓、そして宮崎さんご自身のお墓があり、ほんの気持ちだけではありましたが、手動ポンプで井戸水をくみ、それぞれの墓石に水をかけさせていただきました。寺名のごとく念仏(南無阿弥陀仏)も墓前で唱え、一読者として、あの空間を肌で感じることができたのは貴重な体験でした。また、ちょうど地蔵盆のご時節がらもあって、晩夏の風物詩ともいえるお地蔵さんの前掛けも、苔の緑と絶妙なコントラストをなしていて印象的でした。

「いつまでもあると思うな親と金」などともいいますが、今後も、装いを新たに再開(?)されるであろう関西突破塾を楽しみにしております。

以上、他愛のない感想となりましたが、これにて失礼いたします。

N.O拝


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